![]() |
|||||||
|
画像をクリックすると背筋が凍る拡大写真が別ウインドウで現れます |
|||||||
| WEEGEE(ウイジー)回顧展 この変わった名前の<ウイージー>写真家は日本でも写真展が開かれ、写真集も発売でご存じの方もあるだろう。本名はArthur Felling(1899-1968)だが1900年生まれという説もある。 この5月から6月にかけてニューヨークを中心に旅行をした、というよりも20年近く住んでいた街へ14年ぶりの里帰り。 その旅行の間に、ニューヨーク在住の写真家から「画廊で<ウイジーの回顧展>をやっているから行ったらどうか」と言われた。その瞬間に、26年前の夏のことを思い出した。 その夏のこととは1977年7月13日に起きたニューヨーク市2回目の大停電の夜に始まる。 私は18丁目とアービングプレイス通りのPete's Tavern(ピートの居酒屋)で、故西井一夫氏から(彼は日本に帰国後カメラ毎日の編集長となる)この<ウイージー>のことを熱っぽく話すのを聞いている最中に店が真っ暗となった。 その夜は格別暑く、この古い居酒屋がエアコンの使い過ぎでヒューズが飛び、すぐに直るものと彼のウイージーの話を聞き続けた。しかし灯りは戻らず、ニューヨークの街中が真っ暗になったのに気付くのに5分とはかからなかった。 西井氏はミッドタウンの彼の友人宅に居候で、歩いて戻るのは危険と、20丁目の私のスタジオ兼住居のロフトに泊まることになった。 かなり酩酊した足で6階までの暗黒の階段をライターの揺れる灯りを頼りに上るのに苦労したあと、停電はいつ回復するか解らず、腐るといけないと冷蔵庫の中の食物を肴に、サラダ油に凧糸を芯とした灯りを頼りにまた飲み始め、彼の<ウイージー>の話に戻った。 その話によると、このウイージーは「ハードボイルド写真家」で他に類を見ない。事件での死人を何人撮影したか数え切れない。新聞、雑誌掲載後はネガを捨ててしまう。などという逸話を延々に聞かされ、猛烈な日差しの朝を迎えた。 西井氏は<ウイージー展>を日本で開く気になり、私は通訳兼写真家として彼のアシストをすることになった。 MOMA(近代美術館)の写真資料室、ICP(インター・ナショナル・センター・オブ・フォトグラフィー)のコーネル・キャパ氏(ロバート・キャパ氏の弟)などを訪ねた。そこで<ウイージー>のプリントを見たがかなり荒っぽい焼き方で、プリントが折れたり、角が切れたり、サイズも大小だった。しかしそれらのプリントに焼き付けられたイメージには、背筋が凍り、鳥肌が立った。 記録的な暑さともなったその歴史的な夏は<ウイジー>の作品の数々との出会いでもあった。 日本での<ウイジー>の展覧会は成功し、その名が広まり始めた。 今回のニューヨークでの<ウイジー回顧展>はプリントの品質も高くサイズも揃い何十点がセットになり、家を一軒買えるような値段と聞いた。 運良く残されたネガの所有者だった<ウイージー夫人>も逝き、誰が何処でどういう風にしてそれらのプリントが作成したのか。 この展覧会の企画者は<ウイジー>が車のトランクに写真機材、タイプライターを積み込み、事件を追って走り回り、撮影、記事を書き、フィルム現像、プリントは締め切りまでの薬品処理かしない。それを繰り返した写真家だった。その写真漬けの生活を書いた<"Weegee: A lens on life,1899-1968">という伝記を読んだのか。と疑問が起きる。 写真は情報伝達の手段としてビジネスに取り込まれた。その作品が結果として芸術となり得る。それらをあまりにも画廊のビジネスに利用されるのは抵抗を感じ、その展覧会には足を運ぶ気にはならなかった。 今回の旅で、懐かしいPete's Tavernで<ギネスドラフトとチーズバーガー>の昼飯でもと思い訪ねたが、店頭を飾り立て大きな星条旗が翻っているのを見るとその気も消え失せた。 このエッセイに関連の2つのURLを付けます。お時間があればどうぞ http://www.icp.org/weegee/ http://www.geocities.com/Eureka/Concourse/9261/petestavern.index.html |
|||||||