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| 決定的瞬間 上の画像は、アンリ・カルティエ・ブレッソン氏の<マルネ河岸で (On the banks of Marne)-1938>を思い出しながら撮ったものだ。 しかし、あとでその<マルネ川岸で>を写真集で見ると、それは人間生活をしっかりと切り取り、自分の<隅田川堤で−1998>は風景描写となり大きな違いがある。 アンリ・カルティエ・ブレッソン氏の死を知ったのは、8月5日の <AFP通信などによると、写真集「決定的瞬間」などで世界的に知られるフランスの写真家、アンリ・カルティエブレッソンさんが3日、フランス南部の自宅で死去した。95歳だった。死因などは明らかにされていない。> という新聞の記事だった。 彼の写真には「決定的瞬間」という言葉が必ず付く。 なんと、素晴らしい言葉だろう。<写真>という意訳された言葉に、この決定的瞬間という言葉が付くと、もう絶対的な瞬間の画像と思わせる。 しかし、その画像の前にも後にも時間の流れはあり、30分の1から250分の1ぐらいの瞬間で切り取られた(これにも異論はあるのだが、この項では問わない)画像が「決定的瞬間」となるのだ。しかし、ほんとうにそうなのか。同じような画像が並ぶコンタクトシートの中のひとつが選ばれ、それが「決定的瞬間」となるのは、おかしいのではないか。 この言葉は彼の1952年出版の写真集のタイトルの仏語<Images a la Sauvette>が英語で<the decisive moment>と意訳され、それが日本語訳では「決定的瞬間」となった。しかし、仏語の直訳では <a la Sauvette=逃げ腰、急いで、など>で、逃げ腰の画像となり、「決定的瞬間」には程遠い。英訳した人は誰かわからないがこの超意訳はまさに「決定的意訳」であり、偉大な写真家のブレッソン氏の言葉であろうとも、「逃げ腰画像」では世界中に広がらなかったろう。 しかし、彼の写真は「決定的瞬間」であろうが、「逃げ腰画像」であろうが、世界中に知られた。 私の時代の写真家志望者は何らかの形でブレッソン氏の写真の影響を受けている。<世界を旅し、その街、人々を撮る>これはブレッソン氏が築き上げた、写真家のひとつの夢のかたちなのだ。 それらの写真を撮るとき、彼は、人々にほとんど気づかれないように忍び寄り、撮す。そのためなるべくシャッター音の低いカメラ「ライカ」を選んだ。しかし、それでもひとつ間違うと人々の怒りを買うことがあり、撮った瞬間、すぐに逃げたという逸話もあるから――「逃げ腰画像」と言った訳が分かる。 私も彼の作品から影響を受けた作品群があり、このホームページの<トシ松尾デジタル出版>の中の<We'll meet again!>は、彼に捧げた写真集だ。 ブレッソン氏は1966年に、ロバート・キャパ氏などと創立した写真家集団「マグナム」を退会し、それ以後は、絵画活動、ドキュメンタリー映画、テレビでの映像制作の以外、主な写真活動は行っていない。 いわゆる「決定的瞬間」写真群は30〜40年代の激動の時代に撮られたものである。 ブレッソン氏81歳のとき<アンリ・カルティエ・ブレッソン国際写真賞>が設立され、それを記念して展覧会が催された。その時、1988年9月にフランスのL'Isle sur Sougueで撮影した風景写真が展示され、それは小川に並木が写り込み鴨が浮かんでいるという平和なものだった。そこには、このところ15年間写真を全く撮っていないとの説明が付いていた。 世の中が乱れていると映像作家が活躍し、新聞、雑誌、テレビなどに衝撃的な画像が躍る。しかし、自分の身の回りにある<平和そう>な市井の生活の画像が人々に驚きと感動を与えると信じ、自分はそういう画像を残したいと思う。 偉大なファッション写真家のリチャード・アベドン氏の逝去の報が昨夕の新聞に掲載されていた。 2004年10月3日 なお、関連サイトは |
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