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| 彼等のファースト・アルバムは私の英語の未熟さからこのように仕上がってしまった。 このアルバムの発売が1973年となっているからこの年の夏に撮ったと思う。 私は1971年の夏にニューヨークに移住し、この頃「マザー・カンパニー(Mother Company)」というパーク・アベニューの古いビルにある写真スタジオに通っていた。私は正式なスタッフでは無く、ただ皆にToshi(トシ)とよばれていた。 なぜかといえば、まだ労働許可書を持っていないモグリだったのだ。ということで姓は使わず、名前も半分だけにしていた。英語の会話力は小学生以下、友人の幼い子供たちとの会話がちょうど良いぐらい。 その頃、Hiro(ヒロ)をいう日系の高名な写真家がいて、彼の本名はヤスヒロ若林。彼とは比べものにならないモグリのToshiだった。 そんなモグリが堂々とスタジオで仕事をしているのだから、40年近い前のニューヨークは良い時代だったのだろう。しかし、給料はもらえず、社長のポケットマネーからお小遣い程度を時々もらっていた。スタジオにすれば安上がりのモグリさんだったのだ。 ある日、知り合いのアート・ディレクターから「ピンキーとダイアン」の友人のバンドが 君に写真を撮ってほしいと電話がかかってきた。「ピンキーとダイアン」がまだ有名ではない頃、アパレルの会社に勤めていて、彼女らの新作のプレス・レリース用を無料で撮っていのだ。 電話での会話を思い出すと――日本語で記しているところは私の英語。 何という名前? They called [New York Dolls] ふーん、人形。どんな音楽? New York Rock――注:激しいロック 何人のバンド Five いつ ASAP(as soon as possible)これは、日本にいるとき米系広告代理店で働いていたので解った。 じゃー撮るよ。 この後、多分1週間後ぐらいに撮影したと思うが、この会話で私は「人形=女性」と思ったのだ。いつも、頼んでいるへアーは野村真一ことShin、メークはデイビッド・オグレディに来てもらった――いつもだが無料。 プレス・レリース用と思い、モノクロで撮るものと決めて、カラーのことなどは、はじめから考えていない。 セットはスタジオの待合室の猫足のソファー。染みなどがあるので、スタイリングをしてくれる、ダイアンに白いサテンの生地をピン・ワークで張ってもらった。さすがプロの出来映えで、撮影後このままで待合室に収まった。これに人形のような女性5人が座ると……。 3時間ほど遅れてメンバーが到着。男女15人ほどだが、私はてっきり女性バンドと思っていたのだが、紹介されて初めて男性のバンドと分かった。グルーピーも一緒だったのだ。 人形との思いこみから、ヘアーとメークに女性のように仕上げてくれと頼んだ。この間、メンバーのひとりが勝手に出て行き、なかなか帰ってこず、結局予定より7〜8時間遅れてやっと撮影が始まった。 俗に言う「白塗り」のメークでは、自然な動きよりポーズした方が良い。これは私の英語が自然に動かせる力が無い策でもある。 いろいろと彼等からの反対意見、注文が出たが、全く何を言っているのか解らないので無視して撮影を続けた。 撮影したグループの画像は1本、10フレーム。2フレームはストロボが発光しなかった。コンタクトシートを見ると解るが使える画像はただの1点。この時私はローライ・フレックスを使っていたので、どういう画像を撮ったかすでに解っていた。各アーティストを6フレームのみ、合計で4本と信じられないほど少ない。 これは無料だと思っていたこともあるが、あまりにも長く待たされていたので、早く終わりたかったせいの方が大きい。グループの前にあるビール缶、グラス、ヘヤースプレーなどはアーティストが勝手に置いたものだ。 プリントを彼等に見せると、何故白黒なんだと猛攻撃。私はプレス・レリース用だからこの方が良いと言いたかったが、うまく言えないから、「It Good (これで良いのだ)」の一点張り、結局、彼等はプリントを持ち帰った。 その翌日、レコード会社の担当者から、興奮気味の電話があり、ものすごい写真だと褒めてくれた。それが解ったのは、電話を代わってもらったスタジオ・マネージャーの親切な説明からだった。白黒画像が新鮮で、しかも、アルバム・カバーとなるそうだ。 アルバムの裏面にはバンドのメンバーの意見を入れて、彼等の言うナチュラルな恰好を、イースト・ビレッジのたばこ屋の前でカラーで撮った。数軒先にフィルモア・イーストというロックの殿堂があり、撮影を始める前からすごい人だかりとなった。 ここに警察官がやって来た。こちらはマズイと思ったが、友人を撮っていると言えばすむことだと腹をくくり撮影を始めた。 なんとこの警官は、交通整理を始めてくれた、モグリの写真家なのに!! 怖い町でもあるが、魅力的なニューヨークだった。 この話、あとにまだまだ続くので次号に。 |
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