鎌倉四季・堀田百合子
段葛 春 海・夏の夢 晩秋の北鎌倉 梅の香・冬
段葛 春

鎌倉市若宮大路・段葛・撮影日:04/02/2003
毎朝、段葛を歩いて通った中学の三年間。
鎌倉駅でバスを降り、二の鳥居から段葛を見通し、鶴岡八幡宮までまっすぐ歩く。
車が通らないから、よそ見をしても、空を見つめていても危なくはなかった。
通っていた中学は八幡宮の境内を通り、弓道場を曲がったところにあった。
今でもそこにある。横浜国立大学学芸学部付属鎌倉中学校という長い長い名前の学校。
一学年二クラス、一年から三年まで全員顔見知り、全校で二百五十人に満たない小さな学校。
同じ敷地内に小学校と大学があり、体育館と講堂は大学と共用。
大学の付属ということは、当然実験校なので大学生が教生として実習に来る。
緊張して授業の実習をする大学生をからかい、昼休みに一緒に大人っぽい会話を楽しむ。
今にして思えば、何と生意気な、そしてそれが当たり前の雰囲気の、教師たちでさえそれを許容した不思議な学校だった。
新学期は段葛の桜のトンネルをくぐって始まった。
通り沿いの桜の木の枝の色が和らぎ、つぼみが大きくなり、少しずつピンクに染まる。
一輪、一輪と咲き始め、日を追うごとに咲いていく。
雨が降り、風が通り抜け、ある日満開になる。空を仰ぐと、花のすき間に空の青色が流れている。段葛の両脇の道路もまだ車は少なく、大きく息をすると春のにおいがした。
ある日、花が散り始める。
花びらが舞い、薄桃色を敷きつめた道をそっと踏みしめながら歩く。
風が吹くと花びらが舞い散る。紺の制服のそこかしこに花びらが落ちる。
そして何日か後、若草色の新芽が芽吹き、花の軸が落ち、段葛は新緑の風景に変わる。
当時、毎朝、毎夕、何を思って通っていたことか。
桜の花びらを浴びながら、春のひとときを過ごせることに、そんな環境にいることに、少しの幸せを感じていたとはとても思えない。
季節が変わり、花が咲く。
花が終わり、若葉が芽吹く。
それが何の不思議もなく、まだそれを心にとどめるほどに老成もしていなかった。子犬が鼻をクンクンさせて、何かないかと道ばたを歩き回るようなもので、花よりももっと心躍らせるものを探していたのかもしれない。
あのころは、人生の裏側に潜むような、ほの暗い、憂愁ただよう何か、少女趣味的叙情の世界の中に、自分自身の存在をおとしめるような何かを探していたのかもしれない。
二十数年の東京暮らしを経て、三年前にこの地に戻ってきた。
日常の買い物のついでに、ぶらぶらと鎌倉の街を歩いてみても、さしたる思いはわいてこない。数ある寺社も、名前は知っていても出かけていったことさえなかったことに気付く。
三年間通っていた中学校も、建物は新しくなり、生徒数も増え、同じ敷地内にあった大学も今はもうない。新しい校舎を脇道からのぞいてはみたが、思い出はわき上がってこなかった。
町並みは変わってはいない。もちろん段葛もそのまま、桜の木は過ぎ去った年月だけ大きくなっている。
土日の人の多さ、車の多さ。古都と呼ぶにはあまりにも観光客に媚びた、少し下品な街になってしまっている。
私が毎日通っていたころの段葛は、車が通っても、人が歩いていても、騒音も優しかった。 いつかまた桜の季節に段葛を歩きながら、空を見上げながら、できるなら人生の優しい騒音を聞いてみたい。
海・夏の夢

鎌倉市材木座から・撮影日:06/20/2002
海で泳いだという記憶は、もう遠い彼方の出来事だ。
子供のころ、夏休みと言えば海だった。
毎日、だれかを付き合わせ、海岸へと出かけていった。
あのころ、鎌倉の海はのどかで、海水浴という言い方がそぐう、そしてどこか気取っていて、毎日海で遊べることが子供心にも少し得意だった。
波打ち際で砂のお城なんか、絶対に作らない。
海の家に立ち寄ることもない。
子供なりの優越感のなかで、ただひとつ、海の家でラーメンを食べている、遠くから来た子供たちが、とてつもなくうらやましかった。
私の子供時代、逗子、鎌倉の小中学校にはプールがなかった。水泳の授業は海で行われ、それも泳ぎ方を教えるとかではなかったような気がする。水着に着替え、海岸で戯れていただけの、授業とは言えないものだった。
ほとんどの生徒が無手勝流とはいえ、泳げた。運動音痴の私ですら、すでに泳げた。
あのころは、何でも自然に覚えていった。多分、近くの大人が教えてくれてはいたのだろうけど、教わったという意識はなく、ただただ日々を過ごすうちに身に着いていった。
中学のとき、夏休みの水泳実習で初めて由比ヶ浜の海浜プールへ行った。
波もなく、塩辛くもないプールの水は、何とも頼りなく、ただ泳ぐだけで面白くも、何ともなかった。
海では浮いているだけでも楽しかった。
目の前を小さな白波が通り過ぎていく。
波に体をまかせながら、空に浮かぶ雲を見ているだけで満足だった。
同じ空を見ながら、それでもプールはつまらなかった。
水から上がり、プールの向こう側の由比ヶ浜海岸を見るのが、水泳実習での唯一の楽しみだった。
東京オリンピックの開催とともに、海辺の様相は変わった。
材木座から逗子にかけて、海岸線は道路になり、浜辺は削られ、遊び場だった岩場もなくなった。
潮の流れも変わり、砂浜は固くなり、ごみが大量に流れ着くようになった。
このころから海が遠くなった。
夕方、人が少なくなってから出かけるようになり、今までより少しだけ沖に出て泳いだ。
まだ沖は水がきれいだった。
そのうち九月に入ってから何日か出かけ、そして海で泳ぐことはなくなった。
近年、小坪のはずれに住むようになって、時々飯島でバスを降り、トンネルを通らずに飯島の海側を歩いて帰ることがある。
崖沿いに十軒ほどの家が並び、家と家の間から材木座海岸、由比ヶ浜、遠くに江ノ島が見え、道を通り抜けると逗子マリーナのリゾートマンションが見通せる。
潮の香りを胸いっぱいに吸い込み、潮風に当たりながら、ほんの二、三分のこの道を歩くのが、近ごろ海を一番身近に感じる唯一の時間となってしまった。
この道を通るたびに、小さな夢を見る。
いつかこの道沿いに、もしも台風になったら波しぶきを浴びるようなこの崖の一角に、 小さな家を建てて住めたらいいなと思う。
老後は日がな一日海をながめながら、うとうととする。かつて喜々として泳いだ海を目の前にして。
小さな、そして多分かなわぬ夢……
晩秋の北鎌倉

鎌倉市円覚寺境内・撮影日:12/02/2003
晩秋の北鎌倉は風に舞う枯れ葉が美しい。
谷戸の路筋のそここに、静かに錆朱色の葉が眠っている。
遅い秋の空気はひんやりと、そして優しい。
かれこれ二十年も前になるだろうか。学生時代の女友達と、ひっそりとした晩秋の北鎌倉を歩いたことがあった。
その女友達には抱えている厄介な問題もあり、私は、ただただ彼女の話にうなづき、アドバイスなどできようもない大きなことがらを聞いてあげるだけだった。
浄智寺の横の谷戸の坂道をのぼり、そしてくだった。
東慶寺で枯れ葉を焼いた煙が谷間を流れるのを、彼女のため息とともに眺め、髪の毛にはらはらと落ちてくる欅の葉をそっと払いのけ、うなずきながら山門を出て、空気の冷たさに思わず両手をこすり合わせた。
女友達の抱えている問題を、何か和らげるような話ができるとは、私自身はもちろんのこと、彼女自身も思ってはいなかっただろう。
彼女は、だれかに話を聞いてほしいだけだった。
そして、私は聞いてあげることしかできなかった。
人が悩みを抱えたとき、何の斟酌もなく、無条件に話を聞いてもらえる友や連れ合いがいることは、この上ない幸せだと思う。
人間には単純な思考形態を持ち合わせているところがある。思いつくことを何の脈絡もなく、とめどもなく話す。
大きな悩みを抱えたとき、ただそれだけでいいのだと思う。
返事などいらないのだ。
聞いてもらえるという安心感。ただそれだけで、ほんのひとときの安堵を得られる。
二十年前のそのときに、私が彼女の話を十分に聞いてあげられたかどうかは定かではない。
ただ彼女とともに歩き、話を聞き、うなずき、はげまし、決して忠告もせず、反論もしなかった。
それだけだった。それしかできなかった。
東慶寺の山門の脇にある小さな喫茶店で、歩き疲れ、冷え切った体を休めた。
日が暮れるのが早かった。
夕闇のなか、ガラス越しに黄色に色づいた大きな葉が風に舞い、一葉、一葉、音もなく散っていった。
彼女にも、そして私にも、もう話すことはなかった。
コーヒーカップのぬくもりで、冷たくなった手を暖め、そっと暮れゆく風景を眺めていた。
北鎌倉駅で、東京へ帰る彼女を見送った。
電車がいってしまった後、私は思わずフッとためいきをついた。
まだ暗くはなっていなかった時刻、彼女が話し続けたことがらのいくつかが、私の心にずっしりと沈んでいた。
何かを振り払おうとでもしたのか、私は一人で円覚寺の山門をくぐった。
ふと見上げると、夕闇の中、錆朱色の世界が広がっていた。
昼間の光では決して見られない、静かに沈んだ紅葉。
風が吹き、紅葉が一枚、二枚と足もとに舞い降りてきた。
枯れかけた一葉を手に取り、私は手帳の間にはさんだ。
彼女が吐露した思いを一葉の紅葉に託し、私は少しだけ安堵して手帳を閉じた。
梅の香・冬

鎌倉市扇ガ谷・海蔵寺・撮影日:01/20/2004
一月も大寒を過ぎると、吹く風にどこか柔らかさを感じるようになる。
節分を過ぎて、大雪が降るかもしれない。
再び寒波が押し寄せてくるかもしれない。
春というにはまだまだ寒く、とはいえどこかに希望の持てるような空気が、ほんの少しだけ流れているような気がしてならない。
晩秋の風に感じる先の見えない重さは、もはや消えてなくなっている。季節というのは本当に不思議な生き物だと思う。
時節を正しく告げ、心を重くも、そして軽くもしてくれる。
この季節、梅のつぼみがひとしおに愛らしい。
一枝手折り、花入れに生けておくと、いつのまにやら一輪、また一輪とつぼみが緩み、花芯の立った真っ白い花が咲いてくる。
落ち着く暇もなく一日を過ごし、一息つこうと腰を下ろしたほんの一瞬、おっとりとした柔らかい香りが体を包み、そして消えていく。
生けたことすら忘れていた梅の枝から、ふわりと宙に浮くように花が咲き、その香りは乾いた心に染みわたり、寒さにこわばった体をいやしてくれる。
東慶寺、長谷寺、瑞泉寺、荏柄天神社、海蔵寺……
鎌倉の寺社には梅の古木が数多くあり、紅梅、白梅、黄梅、それぞれにおもむきのある古枝に花が咲く。
梅の季節、鎌倉の谷戸を歩いていると、足下から冷気が上がり、手も足も冷え切ってしまう。
そんなとき、わずかな風にのって梅の香りが漂ってくる。立ち止まり、あの優しい香りを追うが、まばたきするほどの時間も待っていてはくれない。
その一瞬の香りを求めて、道筋を追い、寺社を訪ねる。
出会えたら仕合わせ、出会えなくても花が迎えてくれる。
亡くなった私の父が、晩年、植木屋を呼んで庭に紅梅の木を植えた。
すでに足も弱り、あまり出歩くことのなくなった父は、毎朝、新聞を読むために座る場所から、目を上げると見える位置に紅梅の木を植えさせた。
ほんの少しでも歩けば、私の生まれる前から庭にあった白梅の木があるにもかかわらず、でももうそこまでは梅の咲く寒さ厳しい季節には出歩けなかった。
松がとれるか、とれないかぐらいのころから、父は紅梅の木を見つめていることが多かった。
毎日、父の紅梅見物は続いた。
黙って見つめている日もあれば、つぼみがついた、つぼみがふくらんだ、赤くなったと、一言、二言つぶやく日もあった。
ある日、一輪咲いた、色がいいと、満面の笑みを浮かべてつぶやき、母に抹茶を点てさせた。
その後も父の紅梅見物は続いたが、何かをつぶやくことは、もうなかった。
紅梅を見つめていた父の思いはどのようなものだったのだろうか。
日々ふくらんでいくつぼみ、一輪、また一輪と咲いていく花を見つめ、残り少ない時を静かにはかっていたのだろうか。
希望、それとも諦念……
今年も父の紅梅は咲いてくれている。
一枝手折り、仏壇に供え、抹茶を点てた。
いつか私も父と同じように、この紅梅を見つめる日々を過ごすような気がしてならない。
堀田百合子さんの著書
「諸君、もう寝ましょうか。」(『日本語のこころ』日本エッセイストクラブ編/2000年版ベスト・エッセイ集・文春文庫2003年7月発行)
「父の背中 堀田善衞」(『北国文華/2003年・秋・17号』北国新聞社発行
[はじめに]
