| 三月十日 不思議な夢を見ていた。 俺は夢の中で香港にいた。そこで泊まっていたホテルとこの病院をどうも混同しているようなのだ。俺は早朝、ひとりで街に散歩に出る。外は超近代的な都市なのだ。俺は何故か、地下街に迷い込んだ。初めは地下駐車場のような寂しいところだったが、出口を探し歩くうち、混雑を極めるチャイナ・タウンを歩いていた。 街角には陳先生。マッサージがあり、それを実況放送している中国人がいた。初めは日本語だったが、そのうち中国語となり、俺には意味がよくわからなかった。なんだか胸苦しく、目覚めたら、ここは病院の部屋であった。香港の迷路から脱出できたと思った。 今日で、放射線は十五回目。ワンクールを終わる。さて、さてなのだが。ともかく、頚部ガンの萎縮は、目を見張るものがある。放射線と抗がん剤の効果なのだろう。すごい。 ビタミンCは体内では作れないので必ず外から(主に果物から)摂らないとダメ。ベーター・カロチンは、ガンの予防作用があると言われている。特に朝の果物は大切だと言える。(NHKの放送より) 「東京もずいぶん春らしくなってきましたね。花粉がさかんに飛んでいます。これももうすぐです」とNHKのラジオ放送で言うので、外はだいぶ暖かくなってきたのだろう。病院の中にいると外の気温が全くわからない。 喉の通りがだいぶ改善された。すこし痛みはあるが(これは放射線のせい)、食物、水がスムーズに喉を通って落ちてゆく。なんと久しぶりの実感か。これ、これを待っていたのだ。 俺にとって、このガンは克服可能なものであるような、そんな自信が湧いてくる。今は、毎日が進歩であるから、嬉しいのだが、さて、問題は後半戦だ。前半の善戦が続いてくれるものかどうか、まだ解らない。どの患者もみなベッドに横になって目をつぶって耐えている。やはり、副作用がきついに違いないのだ。一体、俺の場合はなんなんだろうか。副作用がかなり軽いのである。 昼寝をしたら、眠りの底で突然<おこし>が食べたいと感じた。ほとんど瞬間の衝動である。だから、その思いで目を覚ましてしまって、余りにそのイメージが鮮明なので、急いで売店に<おこし>を探しに行ったが、それはなく、代わりに<播州駄菓子かりんとう>というものがあったので、それを買い、ついでに<梅干昆布>、緑茶のティーバッグを求めてきた。果たして食べることができるのか、暖かいお茶は喉にしみずに通るのか。なんの心配もなし。すべてOKであった。 やっぱり病院食の匂いがいやだな。ワゴンが通っただけでネガティブな気分になっちまう。もうすこしだけ待とう。きっと病院の食事にイメージが湧いてくると思う。もうすぐ食べられる。そうしたら、家にも一時帰ることができる。 君枝叔母より手紙あり。「曲水の宴」の写真が同封されており、なかなかの、たおやめぶりであった。 はからずも花にまた逢う宿世かな ガンなれど花にまた逢う命哉 悪夢果てただ朦朧と夢続編 金色に輝く窓辺神います 金色の朝の屋根屋根神降臨 切りもせず縫われもせずに禿もせず 治ったら体力尽きて逝くやまい 治すため体力尽くして逝く人よ 体力と気力とガンの遺伝子と 体力が燃えきるころにガン治る 病室を覗き込むかよ四十雀 痛まずにがんはきっちり向こうから なぜなんだどうしてなんだなぜ俺だ |